Monthly Archives: 8月 2014

You are browsing the site archives by month.

おじさんの夏休み 第8週(8/19-8/25)自由研究編

東京は本当に暑い一週間でした。それにひきかえ、西日本や北日本などでは大雨の被害が相次ぎました。特に広島は大変なことになりました。弊店のお客様でも広島出身という方がいらっしゃって、ご家族などが被害に遭われていないか心配なところです。それとなかなか収束しないエボラウィルスが心配ですね。今日のニュースでは、アフリカ中央部のコンゴでエボラが発生し、ギニアなどの西アフリカのものとは別ウィルスか、というなんとも恐ろしい報道がありました。日本へ感染が拡大しないことを祈るばかりです。

さて、先週、先々週とカジノの自由研究をテーマにしていますが、今回は私のカジノ体験について書いてみようと思います。1997年と2000年にアメリカのラスベガスへ行きカジノを体験しました。だいぶ昔の話で、かつまだデジタルカメラが市民権を得ていない時期で、当時の写真も無い状況なので、じっくり思い出しながら書いていきたいと思います。

1997年、初めてラスベガスへ行ったのは会社の社員旅行でした。ロサンゼルスがメインの旅行で、全社員でぞろぞろと市内観光をするほか、ハリウッド、ロデオドライブショッピング、ユニバーサルスタジオ、ディズニーランドリゾートなどのオプショナルツアーがたくさん用意されていて、ラスベガスカジノツアーはその中の一つでした。

ラスベガスマッカラン空港に降り立ったときから、空港内に設置されているスロットマシン、ビデオポーカー、ルーレットなどのゲームマシン、そしてギラギラのネオンサインが射幸心を煽り、気持ちを高ぶらせます。二泊三日のカジノツアーの始まりです。

宿泊先は、ラスベガスでは老舗の部類に入る、表玄関の上に燃えるような真っ赤なネオンサインがあるフラミンゴヒルトンホテル。(現在はフラミンゴラスベガスに変わっているようですね。)私たちのツアーバスは、その表玄関ではなく(おそらく)裏口の方に横付けされ、そこから入ったと思います。

フラミンゴ・ラスベガス

フラミンゴ・ラスベガス

従業員の入り口かと思うような薄暗い玄関を入ると、質素なインテリアのカジノフロアに掛け金の低いスロットマシン、ビデオブラックジャックやポーカーのマシンが並んで、遊んでいる人は全然いませんでした。表玄関はリムジンなどで乗り付けるVIPが利用するもので、私たちのような日本からの観光旅行の団体さんが乗っている大型バスは裏に回されるのでしょうね。

しかし、チェックインの手続きにフロントデスクへ向かうと、だんだんと壁の装飾が美しくなり、落ち着いた暖色照明の下には鮮やかな緑色のゲームテーブルが並び、映画で見た憧れのカジノフロアが広がっていました。

チェックインを終え部屋に荷物を置いて現金だけを握りしめ、いざカジノへ。初めてのカジノの雰囲気を味わいながらゲームテーブルの間を歩いていると、ディーラーがにっこりと「遊んでいきませんか?」という笑顔を向けてきます。当時英語に恐怖を抱いていた私と同僚は、そんな誘いを無視してスロットマシンのコーナーへいそいそと向かいました。

スロットマシンなら現金をそのまま投入できるし、ゲームのルールも何もなく、ただ絵柄が揃えばよいだけですから、社員旅行のお上りさんには敷居が低いというものです。最初にチャレンジしたのは確か25セントマシンだったと思います。ケチケチしてましたよね、世界のラスベガスにいたというのに。

片や、いっしょに行った同僚は、日本ではパチスロでそこそこ稼ぐ男で、$1マシンに座り、たばこを吸いながら$100札をコイン投入口の上に挟み、靴を脱いで片膝を立て「チッ」と舌打ちをし、時折りマシンをたたきながら黙々とスロットマシンを回し、ためらいもなく$100札を突っ込んでいました。本物のギャンブル好きとはこういうものか、と感心したものです。

食事と言えば、朝はホテルの朝食、昼はマック、夜はステーキと、判で押したような繰り返しでした。初めて本場のマックを経験し、飲み物とポテトの大きさに度肝を抜かれ、本場のステーキの大きさと大味さにまた度肝を抜かれ、「アメリカ料理」の大ざっぱさを体感した3日間でした。

さすがに最終日の朝は、ツアーのみんなが日本料理を食べたいと言いだし、高級ホテルの日本料理屋へ行って、紅鮭定食(なんと$25!!)をいただきました。それまでにトータル$500ほど負けている私には、バカ高い、それもおいしいはずのない紅鮭定食なんて食べている場合じゃないのですが、そこは集団行動ですから私だけわがままも言えず、泣く泣く付き合うしかありませんでした。ギャンブラーの同僚はほぼ徹夜でスロットを回し続けたらしく$500ほど勝っていて、なんだか満足げに紅鮭定食を食べていました。

朝食のあと、私は悔しさとみじめさを胸にツアーバスに乗りマッカラン空港へ向かいました。チェックインしたあと搭乗までまだ1時間近くあり、搭乗口の前の待合ロビーにまでスロットマシンがあるので、どうしてももう一度スロットマシンにチャレンジしたくなりました。

しかし、もう現金は十数ドルしかなかった私は、$500勝った同僚に$100を借りてスロットマシンにチャレンジしたのでした。やはり小心者の私は25セントマシンに座りました。何回回しても小当たりしか出ず、コインはどんどん減るばかり。しかし、あるとき何かの絵柄が揃って、あたりを知らせるベルが鳴り、コインが滝のように出てきました。大当たりではないですが中あたりくらいが当たったのです。

結局800枚の払い出しで$200になりました。搭乗時刻も迫っていたのですぐに換金して$100はその場で同僚に返し、ちょっとうれしい気持ちでラスベガスを後にしたのでした。といっても大負けしてるんですけどね。まったくテーブルゲームをやらず、スロットマシンとビデオゲームに明け暮れた3日間でした。

次に私がラスベガスを訪れたのは2000年でした。カナダでの友人の結婚式に出席したあとに立ち寄り、中途半端にルールをかじったブラックジャックにチャレンジしました。この話はまた次回のメルマガでお届けします。

おじさんの夏休み 第7週(8/12-8/18)自由研究編

東京は猛暑が続いていますね。私はお盆の後半に長岡の実家へ帰省しました。3日間滞在しましたが、うち2日間は雨でときどき激しく降り、とても湿度が高く蒸し暑い3日間でした。とっくに立秋は過ぎているのに、まだまだ秋は遠い感じですね。

自宅マンションは今、以前から計画されていた大規模修繕がついに始まり、マンション全体を包み込むように足場が組まれ、その外側には蚊帳のようにネットが張られて、昼間でも室内が薄暗く風通しも悪くなってしまいました。そのため、今、目黒の図書館に来てメルマガを書いております。

さて、先週に引き続きカジノの自由研究です。今日は世界で最も新しいシンガポールのカジノ事情について書いてみたいと思います。

マリーナベイ・サンズ

マリーナベイ・サンズ

2011年に開業したシンガポールのカジノですが、1985年、2002年とカジノ解禁の機運が高まったものの、カジノ慎重派の有力者から却下され、2005年ようやく合法化にこぎつけたのだそうです。日本も2002年に石原都知事がカジノ構想を言い始めてから十数年、ようやく今年合法化できるかというところですから、その道のりは似ていますね。

2005年の合法化へ舵を切ったのは、アジアでは中国経済の台頭、マカオカジノ産業の飛躍的な急成長があり、シンガポールの相対的な地位低下という懸念があったためといわれています。それまで醸成し育ててきたアジアでトップクラスの観光資源にカジノ組み合わせて統合リゾート化することにより、さらなる外資獲得を目指したのです。

カジノ合法化後の2006年に統合リゾート(IR)開発計画案のコンペを行い、結果、ラスベガス・サンズ社とマレーシアのゲンティン社の2社が開発を請け負うことになりました。やはりノウハウの無いカジノ産業を、国内企業が一から立ち上げるのは難しいと考えたのでしょう、たくさんのノウハウを持った外資に開発を委託したのでした。

2010年から2011年にかけて2つのIRが開業しますが、そのターゲットは明確に異なっています。サンズ社が手掛けた「マリーナ・ベイ・サンズ」はビジネス中心の港湾域に位置し、国際的な会議や見本市などにやってくる世界のビジネスパーソンをターゲットにしています。

一方ゲンティン社の「リゾートワールド・セントーサ」は、シンガポール南端にあるセントーサ島にあって、水族館、昆虫館、博物館などの文化施設のほか、ユニバーサルスタジオ・シンガポールといった娯楽施設との相乗的な集客効果を狙い、ファミリー、リゾート客をターゲットにしています。

2011年のカジノ開業以降、観光客数が増えそれにより観光収入も拡大しているシンガポールですが、政府はカジノに対して慎重な姿勢を崩していないようです。その理由はカジノの負の側面である依存症、勤労意欲の低下、反社会勢力の関与などを懸念しているからです。そのため、自国民がカジノ施設に入るには、約8000円/日や約16万円/年間の入場料を課して、できるだけカジノから遠ざけるようにしているようです。

堅い話ばかりになってもつまらないので、欧米のカジノでは見られないような特徴的なゲームを調べてみました。シンガポールやマカオなど、アジア圏のカジノではよくプレイされている「大小(Sic-bo)」というゲームです。

3つのサイコロを振って、その出た目のパターンや合計値を予想してお金を賭け勝負するものです。3つのサイコロの出目は216パターンで、合計値は3~18となり、一番簡単な高確率のかけ方は、小(10以下)または大(11以上)に賭ける方法で、当たれば1倍の配当が得られます。ここからこのゲームの名前「大小」が来ているのでしょうね。

3つの六のぞろ目を予想して賭けることもでき、当たった場合180倍の配当を得られますが、よく考えるとその出現率は1/216なのに対して、配当は180倍と割に合いませんよね。でもプレイヤーは“180倍”という一攫千金を夢見て賭けてしまうのでしょうね。そしてカジノ側が儲かるのも納得できますよね。

みなさんも、シンガポールへ行かれたらカジノで楽しんでみてください。その周りにはたくさんの展示場やアミューズメント施設が並び、きっと日本でのカジノを含むIRの将来像がみえると思います。

 

おじさんの夏休み 第6週(8/5-8/11)自由研究編

台風11号の大暴れで、九州や四国では大変な被害が出て、関東でも日曜日は大変な雨風でした。皆様は被害にあわれませんでしたか?

今朝の新聞を見ていたら、「首都東京2020年未来地図」という本の広告が目に入ってきました。2020年といえば東京オリンピック開催の年ですが、そのころ、この東京がどのように変わるのかすごく興味があります。また、それに歩を合わせるようにカジノの合法化も着々と進められていますから、カジノの建設予想なども書かれていたら、なお面白いと思います。

カジノと言えば10年ほど前、石原都知事がお台場カジノ構想を叫んだとき、私は大いに賛同しましたが、それからしばらく下火のままでしたね。それが、2020年の東京五輪が決まって再びカジノに注目が集まるようになり、法案が6月に審議入りしてからはニュースで報じられたり、バラエティ番組などでも取り上げられたりと、今とてもアツい話題です。

そこで、今後はおじさんの夏休み~自由研究編として、カジノについて調査して書いてみようと思います。今週はどこへ行って何をしたというような“おじさんの夏休み日記“的なメルマガから、ちょっと趣向を変えてみたいと思います。

テーマを決めての調査や研究は、得てして過去から現在へと進めるものだと思いますが、そうすると、学校で習う歴史の勉強のように、今ある状況からかけ離れた昔のことから始まって、全く興味が持てず途中で投げ出してしまいそうですから、敢えて今回は、いまの日本のカジノの状況から調べて書いていきたいと思います。

まさに今、インターネットで「カジノ」や「カジノ法案」を検索すると、たくさんの情報が出てきます。今日(8/12)一番最初に出てきたのは「USJカジノ参入に向け海外業者と交渉」という記事でした。ラスベガス最大のMGMやマレーシアのゲンティンなどと交渉中しているみたいです。USJの持つ娯楽施設運営ノウハウと、海外のカジノ運営ノウハウを合わせて、統合リゾート(IR)開発を目指すのでしょうね。

次に韓国のカジノ運営業者についての記事が出てきました。この運営業者は日本のセガサミーと提携して、2017年までに高級カジノリゾートを仁川に建設する計画らしいです。ターゲットは最近蜜月の中国の富裕層。日本への直接投資は考えてないようですが、日本でカジノ合法化ののち、日本だけでは飽き足らず外国のカジノも経験してみたいと思う、そういった日本人を囲い込んで行くという、ちょっと消極的で間接的な投資のようです。日本で飽き足らない人が韓国へ行くか、私にはちょっと疑問が残りますが。

続いて出てきたのは、「日本版カジノはディズニー型に」という意見です。30年にわたって本国以上のホスピタリティを実現したTDRを評価しての意見で、日本が目指すIRという観点からもぴったりですよね。いろんな人がいろんな形での実現を願っているのがよくわかります。

そして候補地。今のところ法案では3か所程度と具体的に絞っていますが、そこに立候補しているのは24都道府県の自治体だそうです。そのうち、大阪と沖縄はほぼ当確ではないかという下馬評もあり、大阪は人工島夢洲、沖縄は“米軍基地の跡地利用”という格好の候補地があるからのようで、お台場があっても都知事がカジノに消極的な東京都は、当確とまではいかないようです。

関東圏で有力なのは横浜と千葉のようですね。横浜は大きな旅客船が出入りする港があるみなとみらいなどのベイエリア、千葉は幕張の人工島あたりが有力だそうです。個人的には、前述のTDR型カジノで、幕張のあたりにできればと思います。そして浦安の現状の施設と船で行き来できれば、すばらしいIRになるのではと期待がふくらみます。

次回は、まだ歴史が浅く、カジノを外国企業に依存しながら成功を収めた、日本も学ぶべき点が多いシンガポールのカジノについて書いてみたいと思います。

PS
そうそう、今週は虎の門ヒルズを見学してきました。オリジナルキャラクターの「トラのもん」と「ドラえもん」が微笑ましいツーショットを見せていました。これ、実物大でしょうか? 確かに小学生ののび太君と同じくらいの背格好でしたから、これくらいなのでしょうね。

おじさんの夏休み 第5週(7/29-8/4)

毎日35度を越える猛暑日が続いていますが、夏バテなどされていませんか? 夕方ほんの少しでも夕立があれば東京の街もクールダウンできるのに、全くないですね。

あっという間におじさんの夏休み1か月が終わってしまいました。暑くて忙しい1か月でした。特に衣替えと納戸の整理は、2日間にわたって汗だくになりながらも、腰を据えて納得いくまでできたので、今後も整理整頓された状態をキープできるのではないかと思っています。

さて、今週は絵画鑑賞、観劇と芸術的な1週間でした。7/29は、読売新聞主催のオルセー美術館展を見に行ってきました。話は6月下旬にさかのぼりますが、家内がどこからかもらってきた「オルセー美術館展チケットプレゼント」キャンペーンに応募したのがきっかけでした。

応募から数日経ったころ、自宅に読売新聞の配達員(兼営業?)がやってきて、オルセー展観覧チケットの権利が当たったと告げ、矢継ぎ早に、3か月の購読契約をすればその権利を行使してチケットが手に入ると言うではありませんか。なんだ、そういうことかと理解しつつ、最近の新聞勧誘は洗濯洗剤やタオルじゃなく、美術館のチケットを餌にするとはと少し感心しながら、今新聞は取ってないし、とりあえず3か月程度ならいいかと契約をし、チケットをゲットしたのでした。

チケットと一緒に受け取った小さな冊子には、東京で展示する作品のすべてが載っていて、特に重要な作品はその説明までが書かれていました。それからは時間があるとこの小冊子を広げ、本物はどんなに美しく迫力があるのだろうと想像を膨らませていました。

実際に美術館で作品を鑑賞して特に感銘を受けたのは、マネの「読書」とラファエリの「プルガヌーの農民たち」でした。前者はモチーフとなっている婦人の薄いブラウスの表現です。油絵具で、ブラウスの下に人の肌がうっすらと透き通って見える状態を、こんなにリアルに表現できるものかと。また、後者は農家のおばあちゃんの、長年の農作業でゴツゴツした手や指先の表現。爪の黒ずんだ汚れや乾燥してカサカサした肌感が忠実に描写されていて、メンソレータムでも塗ってあげたい衝動にかられました。

私、絵は全くの素人なので、昔から写実的な画風がわかりやすくて好きで、印象派の絵の良さはほとんど理解できません。今回の展覧会にも印象派の作品が多数展示されていて、田園や水辺を描いたそのほとんどが、私の理解の範囲を超えていて、どこがよいのかわかりませんでした。しかし一点だけルノワールの「イギリス種のナシの木」という作品に心惹かれました。

この作品、木々の葉や下草がボヤーッと印象派らしいタッチで描かれている反面、木の幹の部分は若干写実的に描かれているせいで、葉や下草が風を受けてなびいているように見え、初夏(かな?)のさわやかな感じが伝わってくるからなんです。

7/29(火)は、東京新美術館の休館日であるところ、主催者である読売新聞の招待客だけに開放した1日で、鑑賞人数も限られていてとても落ち着いてゆっくりと鑑賞できました。この展覧会、10月20日までの開催ですので、皆様もぜひ足を運んでみてください。期間中、休館日もあるようですので、詳しくは東京新美術館のHPをご確認ください。

—-

7/31は阿佐ヶ谷の小さな劇場で「アルビノハニー」という演劇を見てきました。弊店の常連のお客様の幸田明音さんが主演された演劇です。チラシのフライヤーを見て、アルビノ(先天性白皮症)の女子高生の不幸な人生を描く、ちょっと物悲しいストーリー展開かと思っていましたが、独占欲が強くわがままなんだけど純粋な女子高生の、ちょっと危険な恋愛物語でした。

主役の幸田さん、店でお話するときはとても落ち着いてしっかりした感じの大人の女性なのですが、演劇では、わがままで純粋な女子高生を見事に演じていました。特に自分の恋人を奪った親友の同級生を責めるシーンは、それはそれは迫真の演技で、なんだか自分が責められているようなイヤーな感じがこみ上げてくるほどの迫力でした。

アルビノハニーの公演は8/4で終わりましたが、次は「海賊屋万次郎がゆく」という演劇に出られるそうです。公演は8/21~8/31ですので、ご興味のある方は是非ご覧になってみてください。詳しくは下記HPを参照ください。

http://ameblo.jp/namichoukankei/theme-10081827971.html

観劇のあと、阿佐ヶ谷駅までのパールセンター商店街では、8/6からの七夕まつりの飾りつけが大詰めを迎えているようでした。定番のゴジラやトトロのほか、今年一番人気のアナ雪まで、いろんなキャラクターを手作りして、アーケードに吊るしていました。