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おじさんの夏休み 第11週(9/10-9/16)自由研究編

9月14日は目黒区側のさんま祭りでした。二週にわたって権之助坂の上と下でさんまを振る舞って、いったい何尾くらいのさんまが焼かれるんでしょうね。しかし私は、さんま祭りで盛り上がっている目黒を後にして、同じマンションで猫友としてお付き合いしているお隣のご夫婦と一緒に箱根へ行ってきました。

私たち夫婦と、お隣のご夫婦+猫二匹で過ごした三泊四日でした。お隣が所有する別荘に3泊もさせてもらい、三連休で込み合う箱根の観光スポットは完全に敬遠し、別荘でゆったり過ごしながら、お寿司、温泉、散策、BBQと秋の箱根を楽しんできました。その間、お隣の猫たちとも仲良くなるべく私たち夫婦は積極的にアプローチしましたが、全く受け入れられず、猫パンチを数発食らって、敢え無く引き下がる事態となったことは残念でなりません。

さて、2週にわたってお話してきたカナダ&ラスベガスの旅は今回がファイナルになると思います。今回もちょっと長くなりますが、どうぞお付き合いください。

bellagio

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Sherbrookeでの結婚式を終えて新郎新婦に別れを告げ、モントリオールの街を目指しますが、その途中、友人の留学先のアメリカはバーモント州ジョンソンステート大学に寄り、友人に会って日本からの荷物を届けていく計画にしていました。

人生初めての陸路での国境越え、しかも自分で車を運転してのことでしたから、どんな風になるんだろうといろいろ想像していました。入国管理局の建屋があってその前にある駐車場に車を停めて、すべての荷物を降ろして入国審査を待つ列に並んで、パスポートをチェックされ、荷物も片端からチェックされなどと、相当に物々しい手続きになるのだろうなと。。。

しかし、想像とは裏腹に全く簡単なものでした。成田空港に車で入るときに身分証の提示を求められますが、あの程度でした。車を降りる必要もなく、鞄を開けて荷物をチェックされることもなく、車の窓越しに同乗者全員分のパスポートを提示するだけの、いたってシンプルな入国手続きで拍子抜けしました。9.11前だったからかも知れませんね。

アメリカに入ったと言っても周りの風景はカナダと同じく寒々とした雪景色。変わったところと言えば高速道路のルート番号を示す看板のデザインとフランス語表記がなくなった点でしょうか。高速道路を降りて一般道に入りしばらく行くと、後続車も対向車もほとんどなくなり、真っ白な雪原の1本道は、私たちの車だけが走っているんじゃないかと錯覚しそうになるほどでした。

道路わきの標識は「シカ」「ウサギ」などの野生動物に注意しろという警告標識が増えてきて、さらに「スノーモービル注意」や「スノーモービル優先」の看板も多くなってきます。日本でいうところの「農耕車優先」といったところでしょうか。

そんな片田舎のジョンソンの町に着いたのは昼過ぎで、ちょっと小腹が空いてきたので、ナイアガラで経験済みのデニーズとか、バーガーショップなど軽く食べられそうな店を探すも見つからず、コンビニも見つからぬまま小さな町を一周したところで、町の真ん中にスーパーマーケットが1件あったのを思い出し、そこに向かいました。店の前には都合よく駐車場もあったので、そこでパンやお惣菜が買えるのではないかと、入ってみることにしました。

私たち、海外旅行中にスーパーマーケットに立ち寄ったのはこれが最初で、日本では見たことのない野菜や果物があったり、牛乳やジュースがガロン単位で売られていたり、お肉はほぼすべて赤身のブロックでスライスなどは無く、またそれらの安さに驚きました。日本のスーパーとの違いを目の当たりにした私たち3人は、お腹が空いているのも忘れ陳列棚を隅から隅までなめるように見て歩きました。

その時何を買ったのかあまり思い出せませんが、確かバナナと柑橘系のフルーツを買って、とりあえず空腹を満たしたように思います。そしてそれからというもの、海外へ出かけると決まって現地のスーパーマーケットに立ち寄り、その国の特徴ある品ぞろえを目で、舌で楽しむようになりました。

スーパーのレジのお姉さんにジョンソンステート大学の場所を聞くと、「そこの坂を上ったところよ」とあっさりと教えてくれました。それもそのはず、この町に大学は一つしかなく、しかもその大学の教員、スタッフそして学生たちで町が構成されているのでは、と思うほどに小さい町でしたので、大学の場所を知らない人はいないのでした。

広大な敷地にゆったりと校舎、体育館、宿舎などが建てられ、広々としたグラウンドやテニスコートなども完備した、いかにも田舎の大学という感じの雰囲気でした。友人が寝泊まりしているドミトリーもすぐに見つかり、管理人さんに友人のことを尋ねると、「まだお昼すぎよ、学校に決まってるじゃない。」とつっけんどんに返され、今度は何時に終わるのか尋ねると「わからないわ、私がすべての学生の予定なんて知ってる訳ないでしょ。(プンプン)」と返されました。

なんて薄情な管理人なんだとちょっと不快に思いましたが、日本の寮母さんのように、寮生の様子や健康状態などに気を配るなんてことはなく、仕事として割り切って管理人をしているわけですから無理もないですよね。

何時に授業が終わるかもわからない状態で待っていても仕方ないので、不愛想な管理人に、友人の名前を書いたメモと一緒に、日本から持ってきた届け物を預け、先を急ぐことにしました。レンタカーの返却時間も決まっていたので、残念ながら友人には会えませんでした。

ジョンソンの町から、またカナダのモントリオールを目指して、来た道とは別の北西ルートで国境を通過し、再びカナダに入りました。カナダに入るととたんに直線の道路が増え、地図を見ても真北へ約7キロ、直角に左へ曲がって西へ8キロといったとても分かりやすい道が続き、ほとんど迷うことなくモントリオールに着きました。

途中、ひたすら真西に向かって走っているときは夕日を真正面に見ながらのドライブで、地平線の彼方に夕日が沈む光景を見たのはこの時が初めてでした。そもそも地平線を見たのが初めてでしたので、遠い異国の地に来ているということを実感したのを覚えています。

モントリオールに着いてレンタカーを返しました。3泊4日、しかも国境を越えて走り続けた真っ白な新車のシボレーのボディには、融雪剤の塩分が埃をまとってへばりついて乾燥し、タイヤハウスには凍結した雪が厚く重なり、借りた時とは全く別の車の様相になっていました。そのためマニュアル通りに返却時のキズチェックをしようとした担当者は、フロント部分を見てあきれ顔になり、他の部分のチェックは諦めたようでした。

次の日、朝から冷たい雨が降るモントリオールを後に、エアカナダで最後の目的地ラスベガスへ向かいました。2月の旅でしたから、セーターを着てその上にカナダで買ったダウンジャケットをはおり、家内もフード付きのロングコートを着てモントリオールを出発したのですが、ラスベガスに到着してボーディングブリッジを渡り始めたとたん熱気に襲われました。

モントリオールは北緯45度(=北海道北部)で相当寒いのは覚悟していました。ラスベガスも砂漠の町とは言え同36度で栃木県あたりとほぼ同じだったので、2月ならそれなりに寒いのだろうと想像しておりました。しかし降り立ったラスベガス空港は太陽ギラギラで(※文末の注意を参照)、ダウンジャケットやコートを持っている旅行者は私たちだけでした。

ラスベガスでのホテルは、オープンして間もないベラッジオに泊まりました。家内は結婚する前に一度ラスベガスを訪れており、その時からラスベガスの(カジノ以外の)エンターテインメントに心惹かれ情報をチェックするうち、イタリアをテーマにしたホテル、ベラッジオがオープンしたことを知り、いつか泊まってみたいと思っていたのだそうです。

ラスベガス空港からタクシーでベラッジオに到着すると、97年(※おじさんの夏休み第8週参照)の団体のバスとは違って正面玄関のちょっと脇の方へ横付けされました。運転手に料金とチップを払いトランクから荷物を降ろしていると、黒塗りのリムジンがやってきて正面玄関の真正面へ横付けして、そこへベルボーイが数人恭しく駆け寄り、一人はドアを開け、一人はその横で待機して客人を迎え、一人はトランクから荷物を降ろしていました。

リムジンから出てきたひげを生やした白人のおじさんは、これからこのホテルで自分に施される贅沢なサービスと、エキサイティングなカジノゲームを想像してか、「苦しゅうない」と言わんばかりの笑みを湛え、ホテルの中へ消えていきました。

そんなおじさんを横目に、タクシーから自分たちのトランクを降ろし終えると、どっと汗が吹き出しました。カナダの気候に合わせてセーターを着た上半身と股引を忍ばせた下半身は、ラスベガスには不似合いで、一刻も早くチェックインして夏のいでたちに変身する必要がありました。

オープンしたばかりの人気のホテルでしたから、フロントデスクの前にはチェックインを待つ私たちと同じレベルの宿泊客が列を作っていました。私たちも暑いのを我慢して仕方なく列の最後尾に並びました。チェックインの順番を待つその列のうしろにはとてつもなく広いゲーミングフロアが広がり、整然と並べられたゲームテーブルではたくさんのギャンブラーがゲームを楽しんでいて、97年、ラスベガス空港でのスロットマシンで中当たりした記憶がよみがえって、ワクワクしてきます。

チェックインを終え、私たちの荷物をベルボーイに預け案内された部屋は、ツインルームにエキストラベッドを入れたごく普通の部屋でした。マニュアル通りに部屋の説明をしてチップを受け取り、ドアを開け会釈をしドアを閉め去っていくベルボーイを見送ると、家内と義母は「あーー」と安堵の声を上げながらベッドに横たわり、横になったままおしゃべりを始めました。

私は、義母の目もはばからずカナダモードからラスベガスモードへ着替えをし、たばこ(当時は吸っていました)と財布を取り出して衣服のポケットにしまい、いつでもゲーミングフロアで勝負できる態勢を整え、エキストラベッドに腰を下ろして2人の女性たちの動向を見守っておりましたが、まったくおしゃべりをやめる気配はなく、むしろこれまでの旅程を振り返っては、楽しさに拍車がかかっているようでした。

私も会話に少しだけ首を突っ込みながら気のない相槌を打ち、おしゃべりが寸断したところで「お義母さん、カジノ初めてでしょ? 初めての人にはビギナーズラックがあるみたいですよ。」などと水を向けるのですが、「あたしはせんでよかよ」と軽くいなされ、またいつものおしゃべりに戻っていくのでした。

もう3人一緒にカジノで遊ぶのは無理だと判断して、私一人だけで3枚の$100札を握りしめカジノフロアへ向かいました。97年の初ラスベガスからあこがれていたブラックジャックで勝負するのです。ブラックジャックテーブルもたくさんあって、男性ディーラーだったり女性ディーラーだったり、賭けられるリミットも様々で、とりあえずたくさんのプレイヤーがいるテーブルで、どんなふうに遊ぶのか見てみようと思いました。

私は、ブラックジャックは手札が21に近いほうが勝ちという基本中の基本だけ押さえていました。しかしテーブルを見ているとプレイヤーは12や13なのにスタンドしたり、ディーラーは16で、ほかのプレイヤーに勝てるはずなのに次のカードを引いたりと、解せないところはありましたが、ま、21に近くなればいいという基本ルールは間違っていなさそうでした。それとヒットとスタンドの手による合図や、キャッシャーに行かなくてもゲームテーブル上で現金をチップに替えてくれるということもわかりました。

大体の流れはつかみながらも、自分は初心者ということをわきまえ、他のプレイヤーがおらず、しかも優しそうな女性ディーラーのテーブルを見つけ、いざテーブルに着きました。さっそく財布から$100札を取り出し両替をしてもらおうとディーラーに渡そうとすると、怪訝そうな顔で人差し指を下に向けて「テーブルに置け」という仕草をします。

指示通りテーブルに置くと、さっと取り上げ両替してくれますが、なんか味もそっけもないなと思いながらそれ以降はその通りにしました。後で調べるとカジノのルールなんだそうですね。その現金がいくらの紙幣で何枚あったのかを、テーブルの上に設置されたカメラにも明らかにして公正性を保つルールなのだそうです。

いよいよ賭け金をベットしてゲームが始まりました。最初のうちはゲームの勝敗よりもラスベガスのカジノでブラックジャックをやっているんだ、という満足感のほうが先に立って、ニコニコしながらチップを回収されるといった情けない状態だったと思います。手札が14,15,16だと21に遠い気がして、それに近づけようとヒットしてはバーストしていました。

そんな私を見るに見かねたディーラーは、13の手札でヒットしようとする私に「ステイしたほうがいいわよ」とジェスチャーも交えて助言してくれました。「プレイヤーはなるべくバーストしないようにして、ディーラーがバーストするのを待つのよ」と教えてくれたのでした。そしてレイアウト上の英文「Dealer must draw to 16 and stand on 17」を指さして、「こういうルールがあるからよ」と理由も説明してくれました。

なるほど、ディーラーは16以下なら必ず次のカードを引かなければならず、17以上なら引けないということを理解し、それからは、負ける回数は若干減りましたが、やはりじわじわとお金は減っていき、1時間足らずで$200ほど負けちゃいました。$100を残して、ディーラーにチップを渡せるはずもなく「ありがとう」だけ言ってテーブルを離れました。

残り$100を握りしめ、ブラックジャックの次にやってみたかったルーレットに挑戦しました。残金が残金だけにミニマムが$1くらいのテーブルを探しましたが無く、最低でもミニマム$5でした。すでにプレイしている何人かのお客さんの間に滑り込んでゲームに参加しました。

ブラックジャックテーブルで学んだ両替の方法でチップに交換してもらうと、20枚のチップが渡され、「あー、1枚$5か、日本円で大体500円か、パチンコだったら5分くらいは遊べるのに、ルーレットは1回きりか」などとケチな考えを巡らせながら、ほかの人の張り方を見ていました。

赤黒、偶数奇数など倍率の低いところにだけ賭けているなんとなく堅実そうな人、11番が当たると確信しているのか、11番を囲むように何枚ものチップを賭けているプロっぽい人などいろいろでした。ルーレットに球が投げ入れられてもまだ賭けている人がいて、テレビゲームのルーレットではありえないことでしたので不思議に思いましたが、その後ちゃんと「No more bet」というコールがかかり、そこまでは賭けていいんだということを学びました。

球が落ちて、はずれチップがすべて回収され当選したチップに配当をしているとき、私は一人集中力を高め、次の番号の予想をしていて完全に周りが見えなくなっていました。そして、「よし、次は7だ」と心の中で確信して、$5チップを7番に置いたとたん、ディーラーが「Hey,hey,hey!!」と怒りながら私が張ったチップをどかしました。配当している最中はまだ張ってはいけなくて、ディーラーが「Place your bet」と言ってから張るのだということを学びました。

次のゲームが始まり、私は7番に$5を賭けました。球が投げいれられてもまだ張っている人いて、「そっか、まだ張れるんだった」と思いだし、追加で7番を含む1-12の賭け枠に賭けようか、それとも7番を含む列に賭けようか、それとももうどちらにも賭けてしまおうか決めあぐねて、また一人の世界に入り込み「No more bet」の声が聞こえていませんでした。「よし、とりあえず1-12の枠に賭けよう!」と$5チップを張ったとたん「Hey, No more bet!!」と今度は睨まれ怒られ、私の張ったチップは排除されました。

そんな風に怒られながらルーレットのお作法を学びつつプレイしていたとき、ふと「24」の数字が浮かび、根拠はありませんがなぜか24が当たるような気がしました。ずっと外れ続けて、6-7枚を残すのみだったので、24番の周りに散らすように賭けることもできず、24番の1点賭けでした。

そして球が落ちて、見事!24番が当選したのでした。怒られてばかりの日本人がようやくツキが来たという感じだったのでしょう、同じテーブルのほかのお客さんも笑顔で喜んでくれ、なんだか照れくさい感じで36倍の配当をもらいました。

そうなるとみんな私にツキがあると思うのでしょう、今度は私が賭けるところにみんなが便乗し始め、私のチップの上には、別の色のチップが数枚重ねられるようになりました。しかしツキはその1回だけで、あとはどんどん回収されるだけ。私に笑顔を向けて便乗していたお客さんも次第に離れていき、35倍の当たりも、ものの3-40分でゼロになっちゃいました。

一文無しになってすごすごと部屋に戻ると、まだおしゃべりを続けていた家内と義母は戻ってきた私に目を向けて「どうだったね?」と聞きました。正直に結果を報告したら、それ以降帰国するまで、一切お金はもらえなくなりました。そのあとは、家内と義母がお目当てにしていたショウを見て、ショッピングに付き合い、テーマパークのようなホテルを見て回り、ギャンブル以外のエンタメを楽しんで帰国しました。

2020年の東京オリンピックと同時に東京にもカジノができたら、一度は行ってみたいと思います。全く勝てる気はしませんが….

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(注意)ネットで調べると、ラスベガスの2月の最高気温は17度が公式情報のようです。ごく稀に氷点下になることもあるようです。私が行ったときが異常気象だったのか、それはそれは暑いラスベガスでした。皆様のご旅行におかれましては、くれぐれも公式の情報を参考になさってくださいね。

おじさんの夏休み 第10週(9/3-9/9)自由研究編

おじさんの夏休みもあと1か月を切り、10月4日リスタートに向けて開店計画を練っております。9月7日(日)は朝から焼き魚のにおいがどこからともなくやってきて、お隣さんの朝ごはんの匂いかなと思いながらあまり気にしていませんでしたが、昼を過ぎてその匂いがさらに強くなり、よくよく考えたら「目黒のさんま祭り」の日でした。だいぶ涼しくなって、秋の気配がしてきましたね。

秋と言えば恒例の下北沢カレーフェスティバル。3年目の今年も参加します。リスタートしてからすぐのフェスなので、この準備計画も併せてスケジューリングしています。今年は100店以上が参加するのではないかといわれていますので、皆様もぜひ参加して楽しんでください。

さて、先週からお話してきたカナダ&ラスベガスの旅の続きを書きたいと思います。ちょっと長くなりますが、いましばらくお付き合いください。


ナイアガラフォールズ駅からVIA列車に乗って一路モントリオールを目指しました。社内でサーブされるワインとコース料理を目当てに、VIA1クラスというビジネスタイプの席を予約しました。この列車での移動は、日本の列車でも食堂車など経験したことのない私たちにとって、旅が始まる前から楽しみにしていたイベントの一つでした。

列車が出発して1時間ほどでワインがサーブされました。ちょっと揺れる車内ではありますが、飛行機のエコノミーで使われるようなプラスチック製ではなく、足のついたワイングラスに注いでくれました。ワインを飲みながら待っていると、ビーフステーキの赤ワインソース添え(みたいなの)をメインにした食事が運ばれてきて、ワインをおかわりしながらちょっと贅沢な時間を楽しみました。

8時間ほどの列車の旅になるので、車窓からの風景もそれは美しいのだろうと期待しておりましたが、季節は冬、どんよりとした灰色の空に、穀倉地帯であろう平野には雪が降り積もり、まるで新潟の信越線か上越線に乗って越後平野を走っているような感じでした。モントリオールに着いたのは夜の8時過ぎで、その日は駅近くに予約したホテルに一泊しました。

モントリオールからはレンタカーを借りて、メインイベントの結婚式会場を目指します。結婚式が行われるのは新郎新婦の故郷であるケベック州のSherbrooke。(日本語ではシューブロックとかシェアブルックとかいろいろ読み方があるようですが。。)当時画期的だったyahooマップでSherbrookeの場所を調べて、モントリオールからのルートを印刷して持っていきました。

レンタカーはシボレーのスタンダードタイプで、まだ十数キロしか走っていない真っ白な新車でした。レンタカー屋の担当者はオーバーなアクションを交えて「It’s brand new car!!」などと叫び、なぜか一人でエキサイトしながら車の説明をしてくれました。

生まれて初めての左ハンドル+右側車線の運転で、しかもモントリオール市内を抜けるまでは首都高のような合流と分岐を繰り返す高速道路を走るルートでしたから、初めのうちは相当緊張しました。交差点で左折したあと左側の車線を逆走しそうになったり、高速道路では車線変更のたびにワイパーが動いてしまったりとヒヤヒヤものでした。

目的地のsherbrookeという町はモントリオールから東へ約100kmの小さな町で、家内が助手席で、日本から印刷してきた地図を指でたどりながら道案内してくれ、ジャンクションでの分岐も間違わずにとりあえず、sherbrookeの中心部あたりまでたどり着きました。

列車でモントリオールに着いたころから、徐々にフランス語表記の看板が多くなってきていることに気がついていました。高速道路の案内板や商業広告等も英語とフランス語が併用され、フランス語を全く知らない私たちは、英語の意味を解釈しながらsherbrookeの町までたどり着いたわけですが、インターチェンジを降りると一般道の標識はすべてフランス語になってしまい、英語はほとんど見かけなくなりました。

今のようにGPSを使ったナビもなく、インターネットでホテルの名前を入力すればその位置が地図上に表示されるわけでもなく、私たちはホテルの名前と地番、日本から印刷してきた大ざっぱな地図、そして自分たちの勘を頼りにホテルを探しました。しかしそれだけではホテルは見つからず、ガソリンスタンドや小さな商店に入っては道を聞いて、同じ道を行きつ戻りつしながらようやくホテルを見つけました。

そのホテルは幹線道路から細い脇道に入って100mほど行ったところにありましたが、その幹線道路はおそらく3往復くらいしたと思います。すでに日も落ちて真っ暗で、ホテルの案内版はあるも照明が全くなく、脇道に気付かずホテルの目と鼻の先で右往左往していたのでした。

ホテルは、その昔中学校だった校舎を改装して作られたものだそうで、大きな体育館はボールルームに、教室を改装して客室に、そして当時から室内にあったのかわかりませんが、室内温水プールまで完備していました。ロビーに飾られた写真は、中学校だった当時の授業風景やスポーツをしている生徒たちが写っていて、学び舎だった時代を思い起こさせます。

このホテルは、私たちが参加する結婚式の披露宴会場としても使われるようで、宿泊客のほとんどが結婚式の招待客でした。みんな明日の結婚式に参列すべく北米大陸のいろいろなところから集まってきているようでした。その日の夕食はそんな宿泊客たちと一緒に大食堂で食べることになりました。

出てきた料理は、1mほどもあるサーモンの半身を豪快にオーブンで焼いたものや、あばら骨をバラしていないスペアリブなど、見た目はとてもワイルドで、また大味なのだろうとあまり期待していませんでしたが、姿とは裏腹にとても繊細な味付けで、同じ大陸のアメリカとこうも違うものかとびっくりしました。

結婚式当日、家内はドレス、母は着物、私は自分の結婚式のときに買った黒のタキシードを着て、ホテルの近くの教会に向かいました。日本のホテルのなんちゃってチャペルで執り行われる教会式には出席したことがありますが、本物の教会での結婚式はこれが初めてでした。教会では新郎新婦それぞれにブライドメイドとグルーブズマン(花婿の付添人・立会人を言うらしい)が数人ついて、今日の主役のお世話をしていました。

よく見ると、グルーブズマンはみんな黒のスーツやジャケットを着ていますが、ほかの参列者は茶色やグレーのジャケットに普通のタイという、カジュアルというのは失礼だがフォーマルとも言えない姿でした。日本の結婚式では、ある程度歳のいった男性は黒のスーツに白ネクタイというのが常識だと思っていたのに、カナダ(を含め欧米)では、黒を着るのは基本的に式の関係者である親族とそれをサポートする者らしいですね。なので、真っ黒なタキシードを着た単なる参列者の私は、向こうの人たちから見るとかなり浮いていたと思います。

結婚式が終わりホテルに戻って、いよいよ披露宴の始まりです。新郎の友人とおぼしき4人組のバンドが、静かにインスツルメンツの曲を奏でる会場(昔は中学校の体育館)に入っていくと、8人掛けくらいの丸テーブルが12卓ほど準備されていて、その中心には(確か)世界のいろいろな都市の名前を書いたプラカードが掲げられていました。(ここは日本ぽいですよね)

テーブルに着くと、隣に座っていたアメリカ人かカナダ人(もう忘れました)が、私に握手を求めながら気さくな笑顔で自己紹介をし、私も片言の英語であいさつを返しました。彼はすでにビールを飲んでいて、すぐに私にもビールのことを教えてくれました。

(洋画の吹き替えっぽく)「あの後ろの方にドリンクバーがあるだろう。そうさ、飲み物は自分で買うのさ。どれでも$1だぜ。」と言ったような気がしました。さっそく席を立ってドリンクバーへ行くと、日本では花火やお祭りなどで的屋が路上で缶ビールや缶ジュースを売るときによく見かける、氷水を張った大きめのクーラーボックスが設えられ、その中にアルコール・ノンアルコールのありとあらゆる飲み物が冷やされていました。

文化の違いですよね。結婚式でも飲み物はすべて自己負担。日本のように「祝宴なのに酒が切れたら客人に失礼だ」という感覚はないのですよね。瓶のバドワイザーをラッパ飲みしながら待っていると新郎新婦が入場してきて、新郎新婦の恩師のような方のスピーチがあって、ようやくみんなそろっての乾杯になりました。

乾杯の後は、バンドの演奏に力が入ってきて、参列者はその音楽に合わせるように自由に踊り始めました。これも文化の違いですよね。日本では乾杯が終わってからも来賓や友人などのスピーチが延々と続き、席を立つことなんてまずないですよね。

本当に欧米のパーティーというのはダンスが無いと始まらないんですね。しばらくするとバンドの演奏がぐっとムーディーになり照明がちょっと落とされ、新婦とそのお父さんのダンスが始まりました。続いて新郎とそのお母さんのダンスが続き、最後は新郎新婦のチークダンスとなり、参列していた独身女性はみな、うっとりした表情でダンスを見ていました。

チークタイムが終わるとまた演奏が激しくなってきて、参列者たちが気ままに自由に踊り始めました。そして2時間経っても3時間経ってもみんな踊りっぱなし。日本ではもうそろそろ締めの挨拶があってお開きになるころですが、カナダの結婚式は全く終宴の気配なし。母はきつい帯を締めて着物のまま座っているものですから、人一倍疲れるのでしょう、「まだ終わらんとね?」と何度も聞いてきました。

家内が隣のマダムに、いつお開きになるのか聞いてみると、「オールナイトよ!」とあっけらかんと返されました。私たちは旅の疲れもあり、周りの人たちと新郎新婦に挨拶をして部屋へ戻り休みました。翌朝そのマダムは、「わたしは朝の4時まで付き合ったわ、だけど若い人たちは寝てないみたいよ」とちょっと疲れた表情で教えてくれました。

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今回はここまでにしようと思います。次回はレンタカーで国境を越えてアメリカへ入り、友人の留学先の大学を訪ねたこと、そしていよいよラスベガスでのカジノ体験へと続きます。

 

おじさんの夏休み 第9週(8/26-9/2)自由研究編

先週の猛暑の毎日からうってかわって、一気に気温が下がり肌寒さすら感じるような一週間でしたね。 おかげで私はちょっと体調を崩して、2日間発熱と腹痛にうなされていました。 昨日病院で診てもらったので今日は幾分体調も良く、カラッとした秋空を眺めながらメルマガを書いております。

 夏休みも終わる2-3日前の新聞に、「宿題代行業者」なるものをコラムで見つけました。もう何でもアリの時代ですね。算数ドリル1冊や読書感想文なら原稿用紙1枚単位で料金が決まっているようです。しかもオプションで筆跡まで似せてくれるとか。私のこのメルマガも誰かに代行してもらえるとしたらいくら位だろうなどと邪念を抱きましたが、このメルマガはかつて自分が勉強してこなかった文章力を鍛える良い宿題と思いつつ、単語の意味や使い方などを調べながら人に頼ることなくこれからも続けて行きたいと思います。

 さて、今回は私の2回目のカジノ体験について書いてみようと思います。1回目は1997年で、前回のメルマガに書きましたが、2回目は2000年2月に再びアメリカのラスベガスでの経験です。実はこの旅、ラスベガスがメインではなく、カナダでの友人の結婚式に出席するのが一番のテーマで、結構ハプニングに富んだ有意義な旅だったので、カジノ以外のエピソードも交えて書いてみたいと思います。Niagara falls

 この旅が始まる1ヶ月ほど前から家内は、自宅のパソコンを駆使してインターネット上の情報を拾い集めていました。 そのころはまだADSLすら試験運用という時代で、確か我が家はISDNでネットにつないでいたと思います。 そんな状況で、家内はホテルや航空券を予約し、カナダでの結婚式会場や日本の友人の留学先の学校などを調べ上げ、そこへの訪問を日程に入れ、ついでにラスベガスを1日追加した、一般のパックツアーではありえないようなツアーを作り上げたのでした。

 この旅は、私と家内と家内の母の3人で行きました。 結婚するるカナダの友人というのは、家内の実家のお寺にホームステイしていた男女でしたので、こういうパーティになったのです。(私は実はあんまり関係ないのですが。。。。) 成田空港で母と落ちあい、1日目はシカゴ乗り換えのトロント着で、そのままナイアガラフォールズまで行く予定でした。

 その日の成田は雪がちらついていて、私たちが乗ったシカゴ行きのアメリカンエアは2時間遅れで出発しました。シカゴでの乗り換え便には2時間の余裕をもったスケジュールでしたが、すでにそのバッファをスタート時点で食いつぶてしまい、この先のハプニングを予感させるアンラッキーなスタートでした。 案の定、シカゴに到着したときには、乗り換えるはずのトロント行きの便はすでに出発していました。

 こういうトラブルの時に楽なのがパッケージツアーですが、今回のはすべて家内が組み立てたものなので、頼れるツアーアテンダントもおらず、家内はあまり得意でもない英語を使ってエアラインの担当者と交渉し、次のフライトは3時間後との事でしたが、それだとトロントからのバスに間に合わないと食い下がった結果、1時間後のユナイテッド便を提案され、仕方なくそれを選択したのでした。

 1時間後のフライトと言えどシカゴの空港はことのほか広く、エアラインが変わったため別のターミナルへ移動してチェックインカウンターまで走り、その後も荷物検査を通過して走り、なんとか搭乗できました。 この便は予定通りにトロントに着き、とりあえず今日中にナイアガラまで着けそうだと一安心していましたが、今度はチェックイン時に預けた荷物が何一つ出てこないのです。

 ターンテーブルの前で待つこと10分、「ま、最後に駆け込みで乗ったから出てくるのも遅いんじゃない?」なんていいながら、さらに20分待っても荷物は出ず、ついにはターンテーブルも止まってしまいました。なんてことでしょう。 荷物の中には結婚式で着るスーツやドレス、そして母の着物や帯が入っていたのです。

 途方に暮れそうになりましたがそんなしている場合でもなく、家内はバゲッジクレームに一目散。顔を真っ赤にしてなれない英語で担当者と交渉しすること20分。 今日はもうどうしようもないので預け荷物が出てくるまでの間に必要な衣料品、消耗品等の購入費用を全額補償するという確約を得、最終バスもとうに無くなった人気の無いトロント空港を後に、タクシーでナイアガラフォールズのホテルを目指しました。

 荷物も無く、3人とも身軽な格好でホテルに着き、シカゴで乗り継いでから何も食べていない私たちはレストランの場所をフロントに尋ねると、今の時間は24hのデニーズしか開いてないということでしたが、本場のデニーズにもちょっと興味があったので向かいました。

 ホテルを出ると、チラチラと雪が降っていて、それがホテルの照明に照らされ空気中でキラキラと輝き、氷点下の気温の中、地面に落ちても溶けずふんわりと折り重なり、まるで羽毛を散らしたかのようなやわらかい感触の雪でした。(故郷の新潟ではまずお目にかかれません) 母は熊本の天草出身で、雪などほとんど見たことが無いので、そのキラキラでふわふわの雪を手ですくっては、子供のようにはしゃいでおりました。

 本場のデニーズは、映画バックトゥザフューチャーに出てくるような、いかにも”アメリカン”のなんとも風情のある内装で、日本のファミレスとのギャップに私はワクワクしてきました。 入り口で待っていると、これまたアメリカンな、パッと見120kgはありそうなふくよかなウェートレスが、黄色いユニフォームに白いヒラヒラフリルの付いたエプロンをして、にこやかにそして威圧的にこちらに寄ってきて、人数を確認して席に案内してくれました。

 おーー、大陸に来ている、という高揚感を覚えつつメニューを広げると、ビッグサイズの料理の写真がメニューページからはみ出んばかりにレイアウトされ、空腹感も相まって普段頼まない300gのステーキを頼むと、出てきたのはステーキ肉が埋もれるほどに、付け合せのオニオンフライとフライドポテトが山と盛られたワンプレートでした。 ふくよかなウェートレスは、”ほら、タマネギもポテトも落とさなかったわよ!”と自分のサーブの完璧さを自負するかのように、「Here we go!!」という掛け声と笑顔を残して戻っていきました。

 3人ともそれぞれステーキかハンバーグを頼んでいたので、それぞれにすさまじい量のつけ合わせが乗っていて、ほぼ半分残すことになりました。 こんなの毎日食べてたら、確かにあれくらいにはなるよねなどと話しながら、代金プラスチップを払って店を出ました。 料理の味については、前回のメルマガでも若干書いたのと同じように、(カナダ側の店でしたが)”アメリカン”な味でした。

 ホテルに一泊した次の日は、雪は降っていませんでしたがどんよりとした曇り空。朝食を食べてからナイアガラの滝を見に行きました。ホテルから出るともう、滝の轟音とともに滝の全体が見渡せます。歩きながら滝口に近づくにつれ轟音が輪をかけて大きくなり、落ちる寸前の荒々しい水流を間近で見つめていると、なんだか水の中に吸い込まれていくようなめまいに襲われ、若干ひるんだのを覚えています。

 その日は2月の真冬だったので、滝も一部が凍結していて滝つぼのクルーズは運行していなかったと思います。その代わりに、たきの裏側へ回る通路は開放されていて、瀑布に若干ぬれながら滝の裏から落ちる水を眺めました。 その後はナイアガラ・オン・ザ・レイクまで足を伸ばし、アイスワインやメイプルシロップなどのみやげ物を見るのと同時に、行方不明のトランクが出てくるまで、当面必要な衣類や日用品を買いました。

 このときとばかりに、私はダウンジャケットにマフラーに皮の手袋、家内と母はロングコートにマフラーに雪用のブーツなどを、補償リミットまで購入しました。ちなみにこの時買ったNAUTICAのダウンジャケットは大変重宝して冬の定番になり、2003-2008年の中国赴任時代も愛用し、2013年冬、さすがに袖の部分がボロボロになってしまったので、2014年7月末の衣替え(メルマガ:おじさんの夏休み 第4週)で処分したものです。それにしても13年もの間よくがんばってくれました。

 買い物を終えホテルに戻ってみてもトランクはまだ届かず。翌日の昼過ぎにはナイアガラから列車に乗ってモントリオールへ出発しなければならないというのに、このままナイアガラで荷物を受け取れなければ、結婚式にはジーンズとセーターで出席するか、モントリオールでちょっとフォーマルな衣装を調達するか、だとしたら補償枠はすべて使ってるし、どうしたものかと思案しながらナイアガラ最後の夜をすごしました。

 翌朝朝食を終えフロントの前を通り過ぎようとしたとき、見慣れたトランクとバッグが目に入ってきました。行方不明だった荷物たちがようやく届いたのです。荷物を受け取って中身を確認し、特に荒らされた形跡も無く、母の着物も無事戻って本当に安堵しました。トランクには入りきらないナイアガラで購入した衣類たちはできるだけ身につけ、それでも余るものは手提げの紙袋に入れ、モントリオールへの列車に乗るべくナイアガラフォールズ駅へ向けて出発しました。

 —-

 まだ3日目の話ですが、今回はこのあたりで終わりにします。 続きは次回のメルマガで。

ちなみに次回は、モントリオールまでの列車の中、モントリオールからシューブロックまでのレンタカーの旅、結婚式のエピソード。。。と続きます。 カジノの話はまだまだ先になりそうです。

 

おじさんの夏休み 第8週(8/19-8/25)自由研究編

東京は本当に暑い一週間でした。それにひきかえ、西日本や北日本などでは大雨の被害が相次ぎました。特に広島は大変なことになりました。弊店のお客様でも広島出身という方がいらっしゃって、ご家族などが被害に遭われていないか心配なところです。それとなかなか収束しないエボラウィルスが心配ですね。今日のニュースでは、アフリカ中央部のコンゴでエボラが発生し、ギニアなどの西アフリカのものとは別ウィルスか、というなんとも恐ろしい報道がありました。日本へ感染が拡大しないことを祈るばかりです。

さて、先週、先々週とカジノの自由研究をテーマにしていますが、今回は私のカジノ体験について書いてみようと思います。1997年と2000年にアメリカのラスベガスへ行きカジノを体験しました。だいぶ昔の話で、かつまだデジタルカメラが市民権を得ていない時期で、当時の写真も無い状況なので、じっくり思い出しながら書いていきたいと思います。

1997年、初めてラスベガスへ行ったのは会社の社員旅行でした。ロサンゼルスがメインの旅行で、全社員でぞろぞろと市内観光をするほか、ハリウッド、ロデオドライブショッピング、ユニバーサルスタジオ、ディズニーランドリゾートなどのオプショナルツアーがたくさん用意されていて、ラスベガスカジノツアーはその中の一つでした。

ラスベガスマッカラン空港に降り立ったときから、空港内に設置されているスロットマシン、ビデオポーカー、ルーレットなどのゲームマシン、そしてギラギラのネオンサインが射幸心を煽り、気持ちを高ぶらせます。二泊三日のカジノツアーの始まりです。

宿泊先は、ラスベガスでは老舗の部類に入る、表玄関の上に燃えるような真っ赤なネオンサインがあるフラミンゴヒルトンホテル。(現在はフラミンゴラスベガスに変わっているようですね。)私たちのツアーバスは、その表玄関ではなく(おそらく)裏口の方に横付けされ、そこから入ったと思います。

フラミンゴ・ラスベガス

フラミンゴ・ラスベガス

従業員の入り口かと思うような薄暗い玄関を入ると、質素なインテリアのカジノフロアに掛け金の低いスロットマシン、ビデオブラックジャックやポーカーのマシンが並んで、遊んでいる人は全然いませんでした。表玄関はリムジンなどで乗り付けるVIPが利用するもので、私たちのような日本からの観光旅行の団体さんが乗っている大型バスは裏に回されるのでしょうね。

しかし、チェックインの手続きにフロントデスクへ向かうと、だんだんと壁の装飾が美しくなり、落ち着いた暖色照明の下には鮮やかな緑色のゲームテーブルが並び、映画で見た憧れのカジノフロアが広がっていました。

チェックインを終え部屋に荷物を置いて現金だけを握りしめ、いざカジノへ。初めてのカジノの雰囲気を味わいながらゲームテーブルの間を歩いていると、ディーラーがにっこりと「遊んでいきませんか?」という笑顔を向けてきます。当時英語に恐怖を抱いていた私と同僚は、そんな誘いを無視してスロットマシンのコーナーへいそいそと向かいました。

スロットマシンなら現金をそのまま投入できるし、ゲームのルールも何もなく、ただ絵柄が揃えばよいだけですから、社員旅行のお上りさんには敷居が低いというものです。最初にチャレンジしたのは確か25セントマシンだったと思います。ケチケチしてましたよね、世界のラスベガスにいたというのに。

片や、いっしょに行った同僚は、日本ではパチスロでそこそこ稼ぐ男で、$1マシンに座り、たばこを吸いながら$100札をコイン投入口の上に挟み、靴を脱いで片膝を立て「チッ」と舌打ちをし、時折りマシンをたたきながら黙々とスロットマシンを回し、ためらいもなく$100札を突っ込んでいました。本物のギャンブル好きとはこういうものか、と感心したものです。

食事と言えば、朝はホテルの朝食、昼はマック、夜はステーキと、判で押したような繰り返しでした。初めて本場のマックを経験し、飲み物とポテトの大きさに度肝を抜かれ、本場のステーキの大きさと大味さにまた度肝を抜かれ、「アメリカ料理」の大ざっぱさを体感した3日間でした。

さすがに最終日の朝は、ツアーのみんなが日本料理を食べたいと言いだし、高級ホテルの日本料理屋へ行って、紅鮭定食(なんと$25!!)をいただきました。それまでにトータル$500ほど負けている私には、バカ高い、それもおいしいはずのない紅鮭定食なんて食べている場合じゃないのですが、そこは集団行動ですから私だけわがままも言えず、泣く泣く付き合うしかありませんでした。ギャンブラーの同僚はほぼ徹夜でスロットを回し続けたらしく$500ほど勝っていて、なんだか満足げに紅鮭定食を食べていました。

朝食のあと、私は悔しさとみじめさを胸にツアーバスに乗りマッカラン空港へ向かいました。チェックインしたあと搭乗までまだ1時間近くあり、搭乗口の前の待合ロビーにまでスロットマシンがあるので、どうしてももう一度スロットマシンにチャレンジしたくなりました。

しかし、もう現金は十数ドルしかなかった私は、$500勝った同僚に$100を借りてスロットマシンにチャレンジしたのでした。やはり小心者の私は25セントマシンに座りました。何回回しても小当たりしか出ず、コインはどんどん減るばかり。しかし、あるとき何かの絵柄が揃って、あたりを知らせるベルが鳴り、コインが滝のように出てきました。大当たりではないですが中あたりくらいが当たったのです。

結局800枚の払い出しで$200になりました。搭乗時刻も迫っていたのですぐに換金して$100はその場で同僚に返し、ちょっとうれしい気持ちでラスベガスを後にしたのでした。といっても大負けしてるんですけどね。まったくテーブルゲームをやらず、スロットマシンとビデオゲームに明け暮れた3日間でした。

次に私がラスベガスを訪れたのは2000年でした。カナダでの友人の結婚式に出席したあとに立ち寄り、中途半端にルールをかじったブラックジャックにチャレンジしました。この話はまた次回のメルマガでお届けします。

おじさんの夏休み 第7週(8/12-8/18)自由研究編

東京は猛暑が続いていますね。私はお盆の後半に長岡の実家へ帰省しました。3日間滞在しましたが、うち2日間は雨でときどき激しく降り、とても湿度が高く蒸し暑い3日間でした。とっくに立秋は過ぎているのに、まだまだ秋は遠い感じですね。

自宅マンションは今、以前から計画されていた大規模修繕がついに始まり、マンション全体を包み込むように足場が組まれ、その外側には蚊帳のようにネットが張られて、昼間でも室内が薄暗く風通しも悪くなってしまいました。そのため、今、目黒の図書館に来てメルマガを書いております。

さて、先週に引き続きカジノの自由研究です。今日は世界で最も新しいシンガポールのカジノ事情について書いてみたいと思います。

マリーナベイ・サンズ

マリーナベイ・サンズ

2011年に開業したシンガポールのカジノですが、1985年、2002年とカジノ解禁の機運が高まったものの、カジノ慎重派の有力者から却下され、2005年ようやく合法化にこぎつけたのだそうです。日本も2002年に石原都知事がカジノ構想を言い始めてから十数年、ようやく今年合法化できるかというところですから、その道のりは似ていますね。

2005年の合法化へ舵を切ったのは、アジアでは中国経済の台頭、マカオカジノ産業の飛躍的な急成長があり、シンガポールの相対的な地位低下という懸念があったためといわれています。それまで醸成し育ててきたアジアでトップクラスの観光資源にカジノ組み合わせて統合リゾート化することにより、さらなる外資獲得を目指したのです。

カジノ合法化後の2006年に統合リゾート(IR)開発計画案のコンペを行い、結果、ラスベガス・サンズ社とマレーシアのゲンティン社の2社が開発を請け負うことになりました。やはりノウハウの無いカジノ産業を、国内企業が一から立ち上げるのは難しいと考えたのでしょう、たくさんのノウハウを持った外資に開発を委託したのでした。

2010年から2011年にかけて2つのIRが開業しますが、そのターゲットは明確に異なっています。サンズ社が手掛けた「マリーナ・ベイ・サンズ」はビジネス中心の港湾域に位置し、国際的な会議や見本市などにやってくる世界のビジネスパーソンをターゲットにしています。

一方ゲンティン社の「リゾートワールド・セントーサ」は、シンガポール南端にあるセントーサ島にあって、水族館、昆虫館、博物館などの文化施設のほか、ユニバーサルスタジオ・シンガポールといった娯楽施設との相乗的な集客効果を狙い、ファミリー、リゾート客をターゲットにしています。

2011年のカジノ開業以降、観光客数が増えそれにより観光収入も拡大しているシンガポールですが、政府はカジノに対して慎重な姿勢を崩していないようです。その理由はカジノの負の側面である依存症、勤労意欲の低下、反社会勢力の関与などを懸念しているからです。そのため、自国民がカジノ施設に入るには、約8000円/日や約16万円/年間の入場料を課して、できるだけカジノから遠ざけるようにしているようです。

堅い話ばかりになってもつまらないので、欧米のカジノでは見られないような特徴的なゲームを調べてみました。シンガポールやマカオなど、アジア圏のカジノではよくプレイされている「大小(Sic-bo)」というゲームです。

3つのサイコロを振って、その出た目のパターンや合計値を予想してお金を賭け勝負するものです。3つのサイコロの出目は216パターンで、合計値は3~18となり、一番簡単な高確率のかけ方は、小(10以下)または大(11以上)に賭ける方法で、当たれば1倍の配当が得られます。ここからこのゲームの名前「大小」が来ているのでしょうね。

3つの六のぞろ目を予想して賭けることもでき、当たった場合180倍の配当を得られますが、よく考えるとその出現率は1/216なのに対して、配当は180倍と割に合いませんよね。でもプレイヤーは“180倍”という一攫千金を夢見て賭けてしまうのでしょうね。そしてカジノ側が儲かるのも納得できますよね。

みなさんも、シンガポールへ行かれたらカジノで楽しんでみてください。その周りにはたくさんの展示場やアミューズメント施設が並び、きっと日本でのカジノを含むIRの将来像がみえると思います。

 

おじさんの夏休み 第6週(8/5-8/11)自由研究編

台風11号の大暴れで、九州や四国では大変な被害が出て、関東でも日曜日は大変な雨風でした。皆様は被害にあわれませんでしたか?

今朝の新聞を見ていたら、「首都東京2020年未来地図」という本の広告が目に入ってきました。2020年といえば東京オリンピック開催の年ですが、そのころ、この東京がどのように変わるのかすごく興味があります。また、それに歩を合わせるようにカジノの合法化も着々と進められていますから、カジノの建設予想なども書かれていたら、なお面白いと思います。

カジノと言えば10年ほど前、石原都知事がお台場カジノ構想を叫んだとき、私は大いに賛同しましたが、それからしばらく下火のままでしたね。それが、2020年の東京五輪が決まって再びカジノに注目が集まるようになり、法案が6月に審議入りしてからはニュースで報じられたり、バラエティ番組などでも取り上げられたりと、今とてもアツい話題です。

そこで、今後はおじさんの夏休み~自由研究編として、カジノについて調査して書いてみようと思います。今週はどこへ行って何をしたというような“おじさんの夏休み日記“的なメルマガから、ちょっと趣向を変えてみたいと思います。

テーマを決めての調査や研究は、得てして過去から現在へと進めるものだと思いますが、そうすると、学校で習う歴史の勉強のように、今ある状況からかけ離れた昔のことから始まって、全く興味が持てず途中で投げ出してしまいそうですから、敢えて今回は、いまの日本のカジノの状況から調べて書いていきたいと思います。

まさに今、インターネットで「カジノ」や「カジノ法案」を検索すると、たくさんの情報が出てきます。今日(8/12)一番最初に出てきたのは「USJカジノ参入に向け海外業者と交渉」という記事でした。ラスベガス最大のMGMやマレーシアのゲンティンなどと交渉中しているみたいです。USJの持つ娯楽施設運営ノウハウと、海外のカジノ運営ノウハウを合わせて、統合リゾート(IR)開発を目指すのでしょうね。

次に韓国のカジノ運営業者についての記事が出てきました。この運営業者は日本のセガサミーと提携して、2017年までに高級カジノリゾートを仁川に建設する計画らしいです。ターゲットは最近蜜月の中国の富裕層。日本への直接投資は考えてないようですが、日本でカジノ合法化ののち、日本だけでは飽き足らず外国のカジノも経験してみたいと思う、そういった日本人を囲い込んで行くという、ちょっと消極的で間接的な投資のようです。日本で飽き足らない人が韓国へ行くか、私にはちょっと疑問が残りますが。

続いて出てきたのは、「日本版カジノはディズニー型に」という意見です。30年にわたって本国以上のホスピタリティを実現したTDRを評価しての意見で、日本が目指すIRという観点からもぴったりですよね。いろんな人がいろんな形での実現を願っているのがよくわかります。

そして候補地。今のところ法案では3か所程度と具体的に絞っていますが、そこに立候補しているのは24都道府県の自治体だそうです。そのうち、大阪と沖縄はほぼ当確ではないかという下馬評もあり、大阪は人工島夢洲、沖縄は“米軍基地の跡地利用”という格好の候補地があるからのようで、お台場があっても都知事がカジノに消極的な東京都は、当確とまではいかないようです。

関東圏で有力なのは横浜と千葉のようですね。横浜は大きな旅客船が出入りする港があるみなとみらいなどのベイエリア、千葉は幕張の人工島あたりが有力だそうです。個人的には、前述のTDR型カジノで、幕張のあたりにできればと思います。そして浦安の現状の施設と船で行き来できれば、すばらしいIRになるのではと期待がふくらみます。

次回は、まだ歴史が浅く、カジノを外国企業に依存しながら成功を収めた、日本も学ぶべき点が多いシンガポールのカジノについて書いてみたいと思います。

PS
そうそう、今週は虎の門ヒルズを見学してきました。オリジナルキャラクターの「トラのもん」と「ドラえもん」が微笑ましいツーショットを見せていました。これ、実物大でしょうか? 確かに小学生ののび太君と同じくらいの背格好でしたから、これくらいなのでしょうね。

おじさんの夏休み 第4週(7/22-7/28)

今週は二十四節気の「大暑」があっただけに、本当に暑かったですね。そんな中、前半はダラダラと汗をかきながら店で使っている道具のメンテナンスと遅ればせながらの衣替え、後半は大江戸温泉物語と母を見舞いに福岡を再訪してきました。皆様はいかがお過ごしでしたか?

朝、ギラギラの朝日に覚醒させられた体は、昨夜からのエアコンと加齢のせいで冷え切っていて、リビングの30度近い湿った空気を一瞬心地よく感じるものの、今朝のみそ汁の具にと、田舎から送ってもらった南瓜、茄子、玉ねぎを刻み、包丁の切れ味の悪さを覚えつつ、みそ汁の鍋を火にかけるころにはじっとりと汗ばんでくるのでした。

そして、朝食を食べ終えるころには全身びっしょりと汗をかき、気持ちが萎えそうになりつつも片付けをしながら、野菜たちを刻んだ時に感じた包丁の切れの悪さを思い出し、道具たちの手入れを思い立ったのでした。

店をかき氷屋さんに貸す時に、包丁、スライサー、鍋、ターナー、砥石など、休みの間、自宅でも使えそうな道具はいくらか自宅に持ち帰ったのです。さっそく砥石を取り出して切れなくなった自宅の包丁を研ぎ、その流れで、店で使っていた包丁2丁も研ぎあげ、さらにスライサーの刃も2枚研ぎました。トマトが皮からスッと切れるのは気もちいですよね。

その次にターナー(木べら)を取り出してみると、先端の鍋に当たる部分が擦り減って、丸い穴とつながりそうになっていました。開店から2年半玉ねぎを炒めるのに、ひたすら鍋の底をゴリゴリこすってきたんですから、仕方ないですよね。翌日、さっそく新しいのを買ってきました。古いのはケースにでも入れて店に飾ろうかな…

ターナー新旧交代

ターナー新旧交代

衣替えは、本当は7月の頭、休みに入った直後にやろうと思っていたのですが、いろいろと立て込んで、結局今週になってしまいました。それも夏の一番暑い時期に。衣替えと言いつつも本当の目的は今流行りの“断捨離”。結婚してから18年、なかなか捨てきれなかった衣服がターゲットです。特に結婚前からある家内の“バブルの”衣服たちを断ずることです。

我が家では部屋の一部を納戸にしていて、そこにありとあらゆる“いつか使うもの”を置いているのでした。その大半を占めるのが衣類。とにかく一旦全部引っ張りだして広げて、分類しました。シャツ、Tシャツ、セーター、ズボン、マフラー、カバン、帽子、デパートの紙袋、梱包材、BBQ道具まで全部分類しました。

まずは捨てるものを選びました。判断基準は“今後それを着たいか“です。断捨離の本を読んだわけではありませんが、きっと判断基準は間違ってないと思います。それによって私の衣服は、ダウンジャケット2枚、セーター5枚、スーツ3着、Yシャツ10枚、Tシャツ10枚などかなり減らしましたよ。

そしていよいよ家内の衣服たちです。90年代前半のいわゆるソバージュ+太眉時代のスーツやジャケット、スカートなど、20数年の時を超えてきたツワモノたち。2010年、今のマンションに引っ越して来たときも「もう捨てたら?」と促してはみたものの、高かったとか、まだ着られるとかいろいろ理由をつけてくるので、私もそれ以上は言えませんでした。

OLを始めたばかりの安月給で買った思い出の服であることはよくわかりますが、少なくとも、すでに物理的に着られないものは捨ててくれと懇願して納得してもらい、今回はスーツ10着、セーター6枚など、かなり減らすことができました。

それと、この作業の中で思ったのは、古い衣服などを防災用具として残すのは良い判断だと思いました。ただ、緊急持ち出し用バッグに入るものになりますが、Tシャツや薄いウィンドブレーカーなどは、冬に被災した時にはとても役に立ちますよね。いつ来るかわからない大地震にも備えておかないと…

そして週の後半戦は、母の見舞いに再び福岡を訪れました。福岡行きを決めたのが直前になってからで、割引チケットが取れなかったので、初めてのLCCを試そうということになり、成田発福岡行きのJETSTARを予約しました。フライトは成田発6:45で、最寄りの山手線駅で4:30発の電車に乗る必要がありました。

何か手はないかと前泊も候補にいれながら、ネット検索していて偶然見つけたのが、京成バスが運行している高速バスでした。これは東京駅から成田空港まで事前決済をすることで、900円で行けてしまうルートです。我が家からだと東京駅へのJR代190円をプラスしても、最安ルートと言えるでしょう。

加えて、「大江戸温泉物語セットプラン」なるものを見つけました。お台場の大江戸温泉物語を3:40に出発し東京駅経由で成田空港へ向かうバスがあり、その時間まで大江戸温泉で過ごし、成田空港へ向かう、というものでした。せっかくなので試してみることにしました。

初めての大江戸温泉物語。もう創業11年だそうですね。一般的なスーパー銭湯の食事&休憩処と違って、屋台や居酒屋が軒を連ねる広小路があって、みんな浴衣姿で楽しんでいるので、なんとなくお祭り気分になってきます。温泉も、内湯に湯船が4つ、露天に2つとゆったりとくつろげました。

ちょっと料金の話になりますが、「大江戸温泉物語セットプラン」は大変お得でした。温泉の料金が深夜料金も入れると通常4000円以上になるところが1200円に、そして温泉から成田空港までのバス代が、当日券2000円のところ事前ネット予約で900円でした。計2100円で、普段使う成田エクスプレスからすると1000円以上お得です。それもお風呂も入っているのに。ネットで探すといろいろ出てくるものですね。

入院中の母は、以前にもまして血色もよくなり、食事もよりたくさん食べられるようになって快方に向かっているようでした。2日目の昼に入った昔ながらのお蕎麦屋さんでは、天ざるを頼んで、出てきたてんぷらの量に驚いていましたが、結局おそばも天ぷらも完食していました。

ごぼ天肉うどん

ごぼ天肉うどん

やっぱり女性は“しゃべる”ことがとても重要なのでしょうね。実の娘である家内とおしゃべりしている時間がとても幸せそうで、ストレスも発散でき、そしてお腹がすくのでしょう。この調子で早く元気になってくれればと思うところです。

次週は芸術の一週間の予定です。オルセー美術館展、演劇鑑賞に行く予定です。特に楽しみなのは、当店の常連のお客様である幸田明音さんの舞台を見に行くことです。7/31、阿佐ヶ谷で公演される「アルビノハニー」。演劇鑑賞自体初めてなので、今からとても楽しみです。

 

10月のご来店をお待ちしております。

おじさんの夏休み 第3週(7/15-7/21)

蒸し暑い日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか? 我が家の猫はバテ気味です。早く梅雨が明けて、スカッとした青空を見たいものです。と書いていたら、ラジオから関東地方梅雨明けしたという声が聞こえてきました。これから夏本番ですね。

夏休みも3週目に入って、毎日計画通りの充実した日々を過ごしております。今年47歳になるおじさんは、子供のころのように10時まで寝ていられるはずもなく、ほぼ毎日6時ころには目が覚め、きちんと朝食を作って食べる規則正しい生活を送っております。20代後半のような暴飲暴食もしなくなり、二日酔いの朝はなくなりましたね。

今週のメインイベントは「サントリー武蔵野ビール工場見学」と「目黒天空庭園」でした。武蔵野ビール工場見学は16年ほど前から思い続けていたもので、今回ようやく実現しました。

数年ぶりに降りた分倍河原駅の小さな商店街は、だいぶお店が変わっていましたが、ランチを食べた「ハッスル」、よく飲みに行った「一文銭」や「扇屋」などはそのまま残っていて、なんとも懐かしい気分になりました。ちなみに私の初めての「くさや」経験は、この扇屋さんでした。炭火で炙られたくさやからは、えもいわれぬ匂いが出て店内に立ち込め、私のスーツやワイシャツはそれを吸着し、帰りの電車では周りの乗客から白い目で見られたのをよく覚えています。

話を戻して、駅からロータリーへとつながる16年前と変わらぬ通路を通って、シャトルバスの停留所へ行きました。しばらく待つと水色のシャトルバスがやってきました。個人的には16年前の黄色いビール色をしたバスの方が、気分が盛り上がるように思います。工場に着いて工場見学が始まり、サントリーさんが素材にこだわり、製造工程にこだわっておいしいビールを作っていることがよくわかりました。

そして待ちに待った試飲タイムです。鮮やかな金色のビールサーバーから一杯ずつ注ぎ分けられるプレモルは見事な3:7の泡比で、グラスは手渡されたそばからうっすらと結露を始め、目でもその冷たさ感じることができ、その時のために数時間前から水分を控え、渇かしておいた私のノドは、もう我慢の限界でした。

たまらず、一杯目を一気に流し込みました。「あ゛―――――」と法悦の声を上げる私を見て、サントリーのお姉さんはにっこりと、「今日は限定醸造の『武蔵野』もありますよ。」と勧めてくれるので、二杯目はその「武蔵野」をいただきました。武蔵野はプレモルのような華やかな香りはなく、ちょっと酵母の香りが強めのモッサリとした味わいでしたが、さすが出来たて、おいしかったですよ。

ビール工場見学は、今回が実は3回目。中国に赴任していた時に1回と、帰国後に熊本の(やはり)サントリービール工場に1回行ったことがあります。中国では、住んでいた杭州の地ビール「西湖卑酒」(しーふーぴーじょう)の工場を見学しました。ここは、日本のアサヒビールが出資および技術供与して生産していた工場でした。

中国では、アルコール度数が2-3%程度の軽いビールが好まれることと、あまり良い素材が手に入らないせいなのか、日本のアサヒビールが作るビールでも、あんまりおいしくないんです。なので、中国赴任中は一時帰国の機内で飲むビールが楽しみで、飛行機の中でも法悦の声を上げたものでした。(笑)

二つ目のイベント「目黒天空庭園」。これは、首都高大橋ジャンクションの上に作られた公園です。環境に配慮してジャンクションのループを壁で覆った要塞のような建造物の上に作られた公園で、その大きさは国立競技場とほぼ同じくらいだそうです。

246号線側のエレベータで5階まで上がったところが庭園の入り口。ループに沿って木が植えられ、遊歩道も整備されています。ところどころ、トマト、シシトウ、豆類などを植えた畑もありました。この植物たちの下を車がビュンビュン走っていると思うと、不思議な感じがしました。

高低差24mをゆっくりと登っていきましたが、その途中、芝生の上で日光浴をする人、木陰のベンチでゆっくりとおしゃべりをするカップルなど、みんな思い思いに庭園を楽しんでいましたよ。行き着いた先には地上42階のタワーマンションがそびえ立ち、その9階部分と接続しています。

そのフロアには目黒区の施設が入っていて、目黒区大橋図書館があるのはとてもうらやましく思いました。このマンションに住んでいる人は幸せですね。階下に図書館や区の施設があるのは、本当に便利だと思います。

その後、弊店のお客様から強く勧められていた「アナ雪」を見なければと思い立ち、レンタルDVDを借りて帰宅しました。ディズニー映画など見たことのない私でしたが、今年の早いころからラジオで「Let it go」が毎日のように流れていたので、映画の存在自体は知っていました。
原題は「FROZEN」って言うんですね。「アナと雪の女王」という邦題でしたので、私の頭の中では、アナという主人公が、とっても意地悪な雪の女王と戦って、すてきな王子様と結ばれるというようなストーリー展開を想像していましたが、全く違いましたね。(笑)それに、アナのお姉ちゃんのほうが主人公なんですね。 だったら「エルサと氷の世界」とかの方がよかったんじゃないでしょうか。

ちょっと井上陽水っぽいタイトルですが、主題曲も「 ~ 今年の寒さは、記録的なもの、凍えてしまうよ Oh毎日吹雪 氷の世界~」にすれば、もっと4,50代には受けたのでは。(笑)
と、そんな夏休み三週目でした。

ちなみに中国語では、「冰雪奇缘」(びんしゅえちーゆえん)というそうです。中国語から無理矢理日本語に訳すなら、「氷雪の奇妙なめぐり合わせ」でしょうか。各国、いろんな解釈でタイトルをつけているものですね。

10月のご来店をお待ちしております。

おじさんの夏休み 第2週(7/7-7/14)

台風8号の接近で、7/11から予定していた福岡行の飛行機が飛ぶのか心配しましたが、東京には大きな被害もなく飛行機も予定通りに飛び、一応予定通りにこなせた1週間でした。福岡は、気温は27-8度と驚くほどではありませんでしたが、ものすごい湿気で汗が止まらないのにびっくりしました。東京は連日30度越えのようで大変でしたね。

7/8にフライングオープンしたかき氷屋◆川久さん、今日(7/15)もちょっと顔を出しましたが、お店の中はお客さんでいっぱいで、大盛況のようでした。オープン初日の10日に伺った際は、台風が東京に迫っていて天気があいにくで、お客さんもまばらでしたが、夏本番の暑さが戻ってくると、やはりかき氷は強いですね。

また、メルマガ会員の方もすでに何人か足を運んでいただきかき氷を召し上がっていただいているようです。どうもありがとうございます。 オープン初日、台風の接近を感じさせる南風が吹いている中、かき氷をテイクアウトされたメルマガ会員・W様が店を出ようとすると、あわや、かき氷が風に持っていかれそうになりました。それほどに川久さんのかき氷はフワフワなのです。

今週は、とにかく、懐かしい人たちと再会して語り合った1週間でもありました。一人目は加世子さん。2004年に赴任した杭州で知り合った(当時)留学生の女の子ですが、今は家内の弟と結婚して私の義妹になり、一児の母です。その加世子さんが、研修に参加すべく東京へやってきたので、当時、杭州で世話になった方々にも声をかけて、自宅でささやかなパーティーを開いたのでした。

そのパーティーの酔いも醒めぬまま、翌日昼過ぎの羽田発福岡行きを目指し準備をし、福岡へ向かいました。福岡へ向かったのは、家内の母が4月頃から病を患い入院していたので、今回思いがけずできた休みを利用して見舞いに行ったのでした。

5月頃に電話で話したときの、か細く不安そうな母の声とは打って変わって、張りのある元気そうな声で、とりあえず一安心しました。 結構、食欲もあるようで、昼、夕と、看護師さんの「食事の準備ができましたーー」という呼びかけに、ササッとベッドから立ち上がり食事をとりに行く姿には、少しは元気になったなぁと思う反面、日々の入院生活が退屈で食事だけが楽しみなんだろうなと、ちょっとかわいそうにも思いました。

見舞い三日目、病院食を断って家内と3人で外食に行った先では、ステーキ定食をペロリと平らげ、「久しぶりに食ったぁ」みたいな嬉しそうな笑顔をしていたので、だいぶ安心しました。その顔を見たせいか、わたしも普段食べないような「チキン南蛮定食」を頼み、鶏のから揚げとタルタルソースのハイカロリーコンビを難なく完食したのでした。

福岡滞在中は、基本、日中は見舞いで母の病院で、夜は懐かしい友人と会って過ごしました。 会ったのはFさん、Aさん、Rさん。いずれも、サラリーマン時代の同僚で、10年以上ぶりの再会でした。 会って話すことは昔あった懐かしい話ばかりで、あっという間に時間が過ぎました。

私が滞在している期間中の福岡は、博多祇園山笠の予行練習中(?)だったようで、威勢のいいお兄さんたちがプリッとしたお尻を見せて、元気に神輿を担いで15日早朝の追い山本番に向け練習していました。それに、きれいな飾り山が町の要所に飾られ、お祭りの雰囲気を醸し出していましたよ。

さて、今週(7/15~)の予定で一番のイベントは、「サントリービール工場見学」。体調を整えて、時間に遅れないよう5分前行動で臨みたいと思います。実は当初は、工場見学のあと、高尾山ビアガーデンへも足を延ばそうかと、一瞬考えました。が、歳と季節を考えて工場見学だけに絞りました。(笑)

10月のご来店をお待ちしております。

かき氷屋◆川久 フライングオープン

本当は7/10からのオープンですが、今日は暑いのでフライングオープンしています。明日(7/9)まで、通常の半分程度のかき氷を無料でテイスティングサービスするそうです。

私もさっそく”グアバ”をいただいてきました。グアバには練乳が合うということなので、おすすめされるままいただきましたが、グアバの酸味と練乳が以外にもよく合ってましたよ。また氷も極薄に削られていて、ガリ、ジャリなど微塵もなく、さっぱりとしたシャーベットを食べてるような感じでした。皆様もこの機会にぜひ!!